河口龍夫 個展「未来人の落書」
会期:2025年11月28日(金) - 2026年1月17日(土) 13:00 - 19:00
*日・月・火・祝日は休廊
*冬季休廊:2025年12月28日(日)〜 2026年1月6日(火) 会場:SNOW Contemporary / 東京都港区西麻布2-13-12 早野ビル404
オープニングレセプション:2025年11月28日(金)17:00 - 19:00
SNOW Contemporaryでは2025年11月28日(金)から2026年1月17日(土)まで、弊廊で10回目の個展となる河口龍夫「未来人の落書」を開催いたします。
1940年兵庫県生まれの河口龍夫はエネルギー、時間、生命、宇宙など、さまざまな要素を主題に、それらの「関係」性をテーマに制作を行っています。その作品群は、植物や水、空気などの自然をベースにした素材に、鉛や鉄といった金属を組み合わせたり、制作過程に加熱や腐食を用いるなど、既存のメディアや表現形式に捉われることなく、独自の表現方法で発表してきました。
1960年代から作品の発表を始め、1965年には神戸在住の作家らとグループ<位>を結成。「人間と物質」展(1970)や「第8回パリ・ビエンナーレ」(1973)、そしてポンピドウー・センターで開催された「大地の魔術師」展(1989)などに出品し、国際的に高い評価を受けています。1982年には「関係−種子」シリーズを開始。当初、河口は植物の種子を銅で覆う作品を制作していましたが、1986年のチェルノブイリ原発事故後、銅に代わり放射線を遮る鉛を用いるようになりました。チェルノブイリ原発事故と同年に河口は、「関係―種子」(1986)において170種以上の種を鉛で封印しました。
1995年には広島市現代美術館で行われた「被爆50周年記念展 ヒロシマ以後 現代美術からのメッセージ」で展示された〈関係―鉛の温室・HIROSHIMAのタンポポ〉の制作の過程において、人間がつくった原子爆弾に被爆した猫や犬、野鳥や草花といった人間以外の生物に目を向けるようになりました。
本展「未来人の落書」シリーズの作品制作の起点は、河口の息子が一歳児となり画用紙に鉛筆を握りしめ、何かを描き始めた52年前の1973年に遡ります。
『未だ文字が書けない未来人が画用紙に何かを描いた。その描かれた何かは、何であるか私には判断も理解もできないが、説明しがたい魅力に取りつかれたのである。そこでとりあえず描かれたものを落書と呼んでみた。「未来人の落書」の誕生である。』(河口龍夫「未来人の落書」)
このようにして一歳の我が子が描く線に魅了され、そこで生じた問いの答えを求めて、河口は「未来人の落書」に対峙することになりました。さらに2010年には河口の初孫が一歳児となったことで、当該作品への探究が再燃し、二世代にわたり作家は挑戦と問いを重ね続けることとなります。
幾度も「未来人の落書」にトレーシングペーパーを重ね、一歳児の描いた線をトレースしていくうちに河口はある問いの答えに辿り着きます。『何枚も写し取ってゆくうちに、実は「何か」を描いているのではなく、「描くこと」その「こと」が最大の目的のように感じられた。それ以上でもそれ以下でもなく、生と直結した最も充実している「生きていること」であり、その行為は「生きていること」そのもの、つまり、その落書は「生きていること」と直結していると思われた。』(河口龍夫「未来人の落書」)
本展では、平面作品8点と立体作品1点で構成されるとともに、本展のために書き下ろされた河口龍夫、椹木野衣、渡部葉子によるテキストを含む図録を販売します。
河口のライフワークから生まれた芸術家としての眼差しと問いによる作品を、ぜひご高覧ください。
会期:2025年11月28日(金) - 2026年1月17日(土) 13:00 - 19:00
*日・月・火・祝日は休廊
*冬季休廊:2025年12月28日(日)〜 2026年1月6日(火) 会場:SNOW Contemporary / 東京都港区西麻布2-13-12 早野ビル404
オープニングレセプション:2025年11月28日(金)17:00 - 19:00
SNOW Contemporaryでは2025年11月28日(金)から2026年1月17日(土)まで、弊廊で10回目の個展となる河口龍夫「未来人の落書」を開催いたします。
1940年兵庫県生まれの河口龍夫はエネルギー、時間、生命、宇宙など、さまざまな要素を主題に、それらの「関係」性をテーマに制作を行っています。その作品群は、植物や水、空気などの自然をベースにした素材に、鉛や鉄といった金属を組み合わせたり、制作過程に加熱や腐食を用いるなど、既存のメディアや表現形式に捉われることなく、独自の表現方法で発表してきました。
1960年代から作品の発表を始め、1965年には神戸在住の作家らとグループ<位>を結成。「人間と物質」展(1970)や「第8回パリ・ビエンナーレ」(1973)、そしてポンピドウー・センターで開催された「大地の魔術師」展(1989)などに出品し、国際的に高い評価を受けています。1982年には「関係−種子」シリーズを開始。当初、河口は植物の種子を銅で覆う作品を制作していましたが、1986年のチェルノブイリ原発事故後、銅に代わり放射線を遮る鉛を用いるようになりました。チェルノブイリ原発事故と同年に河口は、「関係―種子」(1986)において170種以上の種を鉛で封印しました。
1995年には広島市現代美術館で行われた「被爆50周年記念展 ヒロシマ以後 現代美術からのメッセージ」で展示された〈関係―鉛の温室・HIROSHIMAのタンポポ〉の制作の過程において、人間がつくった原子爆弾に被爆した猫や犬、野鳥や草花といった人間以外の生物に目を向けるようになりました。
本展「未来人の落書」シリーズの作品制作の起点は、河口の息子が一歳児となり画用紙に鉛筆を握りしめ、何かを描き始めた52年前の1973年に遡ります。
『未だ文字が書けない未来人が画用紙に何かを描いた。その描かれた何かは、何であるか私には判断も理解もできないが、説明しがたい魅力に取りつかれたのである。そこでとりあえず描かれたものを落書と呼んでみた。「未来人の落書」の誕生である。』(河口龍夫「未来人の落書」)
このようにして一歳の我が子が描く線に魅了され、そこで生じた問いの答えを求めて、河口は「未来人の落書」に対峙することになりました。さらに2010年には河口の初孫が一歳児となったことで、当該作品への探究が再燃し、二世代にわたり作家は挑戦と問いを重ね続けることとなります。
幾度も「未来人の落書」にトレーシングペーパーを重ね、一歳児の描いた線をトレースしていくうちに河口はある問いの答えに辿り着きます。『何枚も写し取ってゆくうちに、実は「何か」を描いているのではなく、「描くこと」その「こと」が最大の目的のように感じられた。それ以上でもそれ以下でもなく、生と直結した最も充実している「生きていること」であり、その行為は「生きていること」そのもの、つまり、その落書は「生きていること」と直結していると思われた。』(河口龍夫「未来人の落書」)
本展では、平面作品8点と立体作品1点で構成されるとともに、本展のために書き下ろされた河口龍夫、椹木野衣、渡部葉子によるテキストを含む図録を販売します。
河口のライフワークから生まれた芸術家としての眼差しと問いによる作品を、ぜひご高覧ください。
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