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中島晴矢「麻布逍遥」

snow contemporary
「麻布逍遥」(2017) video(18’40”)より photo : Kei Morishita
中島晴矢「麻布逍遥」

2017年6月2日(金) - 7月1日(土) 11:00 - 19:00 *日・月・祝日休廊
オープニングレセプション:6月2日(金) 18:00 - 20:00
会場:SNOW Contemporary
ゲストキュレーター:青木彬

関連イベント
「現代美術寄席」
6月4日(日)15:00?
木戸銭:500円
定 員:25名
出演者:松蔭浩之、中島晴矢

「麻布が映した東京」
6月18日(日)15:00?
入場料:1,000円
定 員:25名
登壇者:宮台真司(社会学者)、中島晴矢


SNOW Contemporaryでは2017年6月2日(金)から7月1日(土)まで、中島晴矢による新作個展「麻布逍遥」 を開催いたします。

中島晴矢は、1989年神奈川県横浜市生まれ。法政大学文学部日本文学科を卒業、美學校では内海信彦氏、松蔭浩之氏らに師事。映像、絵画、立体やパフォーマンスなど多様な手法を用いながら、複雑で困難な現代社会を文学的な風刺を伴って作品化してきました。近年では2015年「ペネローペの境界」(TAV GALLERY)、2014年「上下・左右・いまここ」(原爆の図丸木美術館)と継続的に個展を開催。また「カオス*ラウンジ新芸術祭2016 市街劇『小名浜竜宮』」にも参加し注目を集める気鋭の若手美術家です。

中島はこれまでも生まれ育った郊外を舞台にプロレスを繰り広げる《バーリ・トゥード in ニュータウン》や、浦島太郎となって2016年の福島県小名浜を彷徨う《浦島現代徘徊譚》など、まちを歩く姿を通じてその土地の社会性と自身の叙情的な側面を思想の連鎖によって紡ぐ作品を制作してきました。

そして今回の舞台となるのは東京都港区麻布。タイトルにもある「逍遥」とは散歩の意であり、近代文学の祖とも云える坪内逍遥の名でもあります。落語を文学に書き換えることから始まった近代文学。自身もラッパーとして活動する中島はこうした言文一致の先に、街を私的な言葉で紡ぐHIPHOPやストリートカルチャーとの関係をも見出します。文学、政治、美術、サブカルチャーを横断する一見すると飛躍のような思考は、まさに大通りから裏路地へ、住宅街から高層ビルへと景色が移り変わる散歩のように軽やかで、そして新鮮な気づきを与えてくれるでしょう。こうして“私”を突き詰めることで“公”に到る中島の作品には、常に自らの志向性をも超えた存在を許容するポジティブな曖昧さが潜んでいます。
手元の液晶画面で次々に更新されるタイムライン、スクラップ&ビルドが繰り返される都市。変わりゆく東京で一人散歩を続け、そのわずかな差分を問い直す中島晴矢の新作をご覧ください。


「麻布逍遥」展に向けて - アーティスト・ステートメント

 散歩はラジカルである。
 日本における近代文学の先駆者・坪内雄蔵が、筆名に「逍遥遊人」を名乗ったように、芸術は、逍遥、即ち気ままにあちこちそぞろ歩くことからはじまると言って過言ではない。目的地への最短ルートを急ぐのではなく、道草しながら物見遊山で漫歩する、その無目的な彷徨のなかにこそ、詩や画が生まれる余地はある。勝手気儘にぶらぶらと、路地を折れ、坂を登って、商店、寺社、事物、樹木、碑文、落書、公園、河川等に目を遣りながら、游ぐ街路(=ストリート)は刺戟的だ。
 本展における散歩の舞台は「麻布」である。東京の山の手に位置するそこは、起伏に富んだ谷と丘、そしてそれらを繋ぐ数多の坂道からなる街だ。ゼロ年代、東京タワーと開業前後の六本木ヒルズを遠景に、私はこの近辺で中高時代を過ごしたが、2020年の東京も控えた現在、またぞろ麻布を逍遥した。その足取りは都市空間のみならず、歴史や時代を遡り、時空を跨いでゆく。いまの麻布を媒介に、近代から江戸、あるいは山の手から下町へととりとめなくうつろう聯想は、しかし、未来のあり得べき東京を逆照射し、翻って、あたらしい「風景」(柄谷行人)を創出することを試みる。
 展示のベースとなるのは落語「井戸の茶碗」だ。麻布茗荷谷(現六本木一丁目・谷町インターチェンジ)に住む正直者の屑屋の清兵衛が、屑籠を背負って白金・高輪エリアを流しながら、裏長屋の浪人・千代田卜斎と細川屋敷の勤番侍・高木佐久左衛門の二者間を、仏像や茶碗といったオブジェを伴って行き来する人情噺である。その江戸の「遊歩者」(ヴァルター・ベンヤミン)としての屑屋を現代に召還すれば、かの健脚は麻布一帯のものものを掠め運ばれよう。具体的にそれは本展において、がま池、東京タワー、おかめ団子、アークヒルズ、龍?軒、偏奇館、そして無数の谷・丘・坂等々を浮かび上がらせる。
 たしかにこれは個人的な都市(=テクスト)の読みに過ぎないが、しかしその物語を通じて、麻布乃至東京の全体性を炙り出す「考現学(=モダノロジー)」(今和次郎)に相違ない。先述したように、麻布という街をリミックスし読み替えて、いまと異なるあり得たかもしれないオルタナティヴな東京を夢想すること(タラレバ!)が、私の企図するところである。
 現代は「感情」の時代だ。政治においてはポスト・トゥルース的な感性が跋扈し、SNSを動力源とした共感が社会システムを駆動させる。右を見ても左を見ても、市街を歩くということが、同一方向を向き同一のメッセージを叫ぶ、動員のための機能性に堕しているのだとすれば、私は時代に背を向けて手前勝手に路を徘徊する自由を確保したい。
 そもそも近代芸術(=モダン・アート)の道程とは、神の裁きを失した後の人間が自我(=アイデンティティ)を求めてさまよい歩く、散歩道そのものではなかったか。
 再び言おう、散歩はラジカルである。
 誰に断りもなく独り思考し、あてどなく漫然と逍遥する、それこそ当世もっとも革新的な営為なのだ。

中島晴矢
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