河口龍夫「垂直の時間、あるいは階段時間」
会期: 2015年5月2日(土) - 17日(日) 12:00 - 19:00 *月曜休廊
*5月2日(土) [この日のみ、20:00まで開廊]
アーティストトーク:17:00~18:00
オープニングレセプション:18:00 ? 20:00
会場:SNOW Contemporary(XYZ collective) /東京都世田谷区弦巻2-30-20 1F
* 本展は河口龍夫「原稿用紙、本の中に」展(NADiff a/p/a/r/t・4月29日~5月31日)との平行開催となります。
* 本展にあわせて河口龍夫作品集「垂直の時間、あるいは階段時間」を出版いたします。
立体・平面などの新作を約30点、出品予定です。
SNOW Contemporaryでは2015年5月2日(土)から17日(日)まで、河口龍夫の個展を開催いたします。
河口龍夫は1960年代から精力的に作品を発表し続け、現在もなお最前線で活躍し国内外より高い評価をうける、日本を代表する現代作家の1人です。
河口はこれまで一貫して、物と物、あるいは物と人などの相互の関係性をテーマとしてきました。その関係性には、時間や生命、あるいはエネルギーなど無限の可能性を秘めた概念が横たわり、目に見る事が出来ません。河口はその目に見えない関係そのものを作品を通して実在させることで、可視化が困難な概念を鮮やかに提示します。「芸術は精神の冒険」であると河口は言いますが、彼の作品世界は常に観る者の五感を刺激し、新たな想像の世界へと我々をいざないます。
本展では、1970年に東京ビエンナーレにて初めて発表した「陸と海」以来、関心をもって度々テーマとしている時間について再考察しながら、階段という物質を媒体として時間そのものの概念へ近づきます。河口がみせる精神の冒険世界の中で想像を広げ、豊かな時を過ごしていただければ幸いです。
河口龍夫「垂直の階段、あるいは階段時間」(2014年12月14日)より抜粋
階段と芸術について書き始めたが、果たして階段と芸術は関係があるのか全く無関係であるのか定かではない。あえて階段を上り下りのための、つまり空間の上下移動をする機能と実利的にとらえるだけでなく、階段を彫刻ととらえ、あるいはもう少し広く芸術として比喩的にとらえてみることもあながち無意味なことだけではなかろうと考えたのである。断るまでもないが、このことは単純なレディメイド論を反芻しようとしているのではない。
階段は上ったり下りたりする時、その行動を起こす人の体重が移動することになるが、同時に、当然のことながら視点の移動を伴うことを忘れてはならないのではないかと考える。普通、歩行する時平坦な道では視線は平行移動を行うが、坂道や階段では視線は上下移動を行う。水平移動の場合の1メートルの移動は1メートルの視界の変化を伴うのが常であるが、だとすれば1メートルの上下移動においても上下に視界が変化するはずである。視界の水平移動と視界の上下移動のにはただ単に移動の変化に伴う視界の変化だけなのであろうか。なるほどその通りだとも言える。だが水平移動と上下移動の場合、微妙な大地との関係の在り様に変化があるようにも思われる。水平移動の場合は大地との関係は平行移動であるが、上下移動の場合は大地との関係は近づいたり離れたりすることになる。その大地との関係の考察においても、水平移動の場合には水平時間が流れる。とすれば、上下移動の場合には垂直時間といってよいような階段時間が占有するとみるのはどうだろうか。このように階段はその微妙な変化を思考するのに格好の装置・形態なのではなかろうか。階段において上り下りするという機能を残しながら、精神的な対象物とするために階段を階段のまま彫刻、もう少し広く芸術とすること。あるいは芸術として感じさせるように創造することは可能なのだろうか。
会期: 2015年5月2日(土) - 17日(日) 12:00 - 19:00 *月曜休廊
*5月2日(土) [この日のみ、20:00まで開廊]
アーティストトーク:17:00~18:00
オープニングレセプション:18:00 ? 20:00
会場:SNOW Contemporary(XYZ collective) /東京都世田谷区弦巻2-30-20 1F
* 本展は河口龍夫「原稿用紙、本の中に」展(NADiff a/p/a/r/t・4月29日~5月31日)との平行開催となります。
* 本展にあわせて河口龍夫作品集「垂直の時間、あるいは階段時間」を出版いたします。
立体・平面などの新作を約30点、出品予定です。
SNOW Contemporaryでは2015年5月2日(土)から17日(日)まで、河口龍夫の個展を開催いたします。
河口龍夫は1960年代から精力的に作品を発表し続け、現在もなお最前線で活躍し国内外より高い評価をうける、日本を代表する現代作家の1人です。
河口はこれまで一貫して、物と物、あるいは物と人などの相互の関係性をテーマとしてきました。その関係性には、時間や生命、あるいはエネルギーなど無限の可能性を秘めた概念が横たわり、目に見る事が出来ません。河口はその目に見えない関係そのものを作品を通して実在させることで、可視化が困難な概念を鮮やかに提示します。「芸術は精神の冒険」であると河口は言いますが、彼の作品世界は常に観る者の五感を刺激し、新たな想像の世界へと我々をいざないます。
本展では、1970年に東京ビエンナーレにて初めて発表した「陸と海」以来、関心をもって度々テーマとしている時間について再考察しながら、階段という物質を媒体として時間そのものの概念へ近づきます。河口がみせる精神の冒険世界の中で想像を広げ、豊かな時を過ごしていただければ幸いです。
河口龍夫「垂直の階段、あるいは階段時間」(2014年12月14日)より抜粋
階段と芸術について書き始めたが、果たして階段と芸術は関係があるのか全く無関係であるのか定かではない。あえて階段を上り下りのための、つまり空間の上下移動をする機能と実利的にとらえるだけでなく、階段を彫刻ととらえ、あるいはもう少し広く芸術として比喩的にとらえてみることもあながち無意味なことだけではなかろうと考えたのである。断るまでもないが、このことは単純なレディメイド論を反芻しようとしているのではない。
階段は上ったり下りたりする時、その行動を起こす人の体重が移動することになるが、同時に、当然のことながら視点の移動を伴うことを忘れてはならないのではないかと考える。普通、歩行する時平坦な道では視線は平行移動を行うが、坂道や階段では視線は上下移動を行う。水平移動の場合の1メートルの移動は1メートルの視界の変化を伴うのが常であるが、だとすれば1メートルの上下移動においても上下に視界が変化するはずである。視界の水平移動と視界の上下移動のにはただ単に移動の変化に伴う視界の変化だけなのであろうか。なるほどその通りだとも言える。だが水平移動と上下移動の場合、微妙な大地との関係の在り様に変化があるようにも思われる。水平移動の場合は大地との関係は平行移動であるが、上下移動の場合は大地との関係は近づいたり離れたりすることになる。その大地との関係の考察においても、水平移動の場合には水平時間が流れる。とすれば、上下移動の場合には垂直時間といってよいような階段時間が占有するとみるのはどうだろうか。このように階段はその微妙な変化を思考するのに格好の装置・形態なのではなかろうか。階段において上り下りするという機能を残しながら、精神的な対象物とするために階段を階段のまま彫刻、もう少し広く芸術とすること。あるいは芸術として感じさせるように創造することは可能なのだろうか。
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