SNOWcontemporary

竹内公太 個展「公然の秘密」

SNOW Contemporary では 2012 年 3 月 17 日(土)から 4 月 1 日(日)まで、竹内公太の個展を開催いたします。

1982年兵庫県生まれの竹内公太は、2008年東京芸術大学美術学部先端芸術表現科を卒業。近年の展覧 会に「ソーシャルダイブ探検する想像」(2011 / 3331Arts Chiyoda)や奨励賞を受賞した「群馬青年ビエンナーレ 2010」(2010 / 群馬県立近代美術館)などがあります。

竹内公太はこれまで、公共性と集団意識に対する無意識の依存と疑念をテーマとし、都市風景やパブリック・アートなど人工的に規定された風景やルールに対する身体的アプローチをもとに制作活動を続けてきました。
2008年にBANKARTstudioNYKでの展覧会にて発表した「ポータブルマインド横浜」は、神奈川県警察署前の掲示板にて指名手配被疑者の肖像画を描きその作品を展示した、パフォーマンスとインスタレーション2つの要素を兼ね合わせた作品です。
「都市景観の中にそうしたイメージたちを埋没させることは警鐘を鳴らしながらも恐怖に対する感覚を麻痺させています。私達はそうした環境を作ることで不安と安心をどちらも抱えながら生活していると思います」(竹内公太)

ポータブルマインド横浜 2008 油彩画、パフォーマンス、ドキュメントインスタレーション

そして昨年末の 12 月 31 日、本作のモチーフになったオウム真理教元幹部で特別手配中だった平田信容疑者が長きに渡る逃亡生活の末、警視庁丸の内署に出頭して逮捕されました。平田容疑者自らが出頭したにも関わらず彼を知覚することができなかった機動隊員や婦警が、彼の出頭をいたずらと判断し複数の警察をたらいまわしにした事は、皮肉にも竹内が本作で訴えた疑念をそのまま実証する事となりました。

3月 11 日におきた東北大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故以降、竹内は同発電所にて作業員として勤務し、その後は東京電力本店の記者会見に出席しながら発電所内の作業環境についての報告を日々ブログに綴っています。また、8月 28 日に福島第一原子力発電所にて「ふくいちライブカメラ」の前に現れ携帯電話を手にカメラに向かって指差しを行った通称「指差し作業員」との関連性が話題を集めています。このパフォーマンスは後に、インターネット上にて指差し作業員本人からヴィト・アコンチ『centers』 (1971) へのオマージュ作品であるという声明がなされました。次々に配信される震災のニュースが日常化しつつある中で、この映像ほど鋭く「見る/見られる」関係性を鮮やかにしめしながら疑念を投げかけた行為はないでしょう。

左:2011 年8月 28 日「ふくいちライブカメラ」に向かって指差しする作業員
右:指差し作業員 ドローイング(2011) 紙、鉛筆、インク

3.11 以降、沢山のアーティストたちが震災や原子力発電に言及した作品やパフォーマンスを発表しています。
それらの作品は、後にアーティストが 2011 年という年をどう捉え表現したのかを知る上でも、日本美術史的に重要な意味をもってくるでしょう。なかでも竹内公太が関係する「指差し」パフォーマンスが世界中に配信される「ふくいちライブカメラ」という公共のメディアを経由して発表された事は、現代美術界のみならず世間にとっても「事件」となりましたが、本作品には 3.11 以降に発表されてきた、現状に対する怒りや悔しさ、政治的な思想がこめられた他の多くの作品とは異なる視点があります。それは、この作業員が自らの主義思想を表すことなく、危機的状況だからこそあらわになった目に見えない「公共性と集団意識に対する無意識の依存と疑念」の存在をネットというメディアを利用して鮮やかに切り出し、我々鑑賞者につきつけてきた点にあります。美術やそのルールというフィールド内だけでは収まらない様々な切り口を内包しながら端的に時代の空気をしめしたからこそ、一連の活動に対し様々なメディアが反応し、広く人々に思考させる機会をもたらしました。

2012 年3月 17 日より開催される個展「公然の秘密」では、竹内公太本人による“来場される方一人一人と「対話」をする”パフォーマンスを毎日行う予定です。竹内は 3.11 以降、様々なメディアでやりとりされる情報を受け、人の発信する“ことば”を信じては疑うなか、「対話」の可能性についてますます考えを深めるようになったと言います。竹内は自身が曖昧な他者となって来場者との対話を試みることで、当事者とは誰か、証言はいかにして可能かといった問いを我々に投げかけてきます。

本展では竹内公太によるパフォーマンスとともに、3.11以降から今にいたる竹内公太の活動のドキュメンテーションや新作のインスタレーションもあわせて発表いたします。展覧会を通じ、指差し作業員の存在や、東京電力の記者会見に出席し続けてきた竹内自身の意図を明らかにする予定です。

竹内公太の初個展における挑戦を皆様にご高覧いただきたく、ここにご案内申し上げます。竹内公太は会場にて、皆さまのお越しをお待ちしております。

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元作業員/記者 竹内公太ブログ「8 to 2」 : http://8to2.blog.shinobi.jp
指差し作業員 ブログ : http://pointatfuku1cam.nobody.jp

プレスリリース(pdf)はこちら



会期/ 2012年3月17日(土) ‒ 4月1日(日) 12:00 ‒ 20:00 *月曜休廊
オープニングレセプション: 3 月 17 日(土) 18:00 - 20:00
会場:XYZ collective (SNOW Contemporary) /東京都世田谷区弦巻 2-30-20 1F

* 会期中は毎日、竹内本人がスペース内にてパフォーマンスを行います。

竹内公太に関する最近の掲載記事

『先頃、東電の記者会見場にひとりのフリー記者が現れた。彼の名は竹内公太。《ふるさとの合成》(2010) などで知られるアーティストである。自ら「指差し男」であると名乗ったわけではないが、ここでの発話等から類推すれば、彼が当人であることはまちがいないように思われた。
「見る/見られる」という一方的な関係を、「見られている側」が「見ている側」を指差すことで、肉体的に転倒するアコンチの作品が、現在のネット環境や今回の過酷事故を通じ、今日的に拡張されているのはすぐにわかることだ。が、論点はそこにはあるまい。
竹内は作品に署名をしただろうか。実際にはしていない。が、あきらかに特定できる材料を彼は出している。ふつう、批評という行為は、作品に対し事後のものとなる。けれども僕はここで、ふたたびアコンチをふまえ、カメラを指差した名乗ることなき作業員を、「美術批評家」の立場から、今度は彼の署名に先立ち、アーティストとして指差し返そうと思う。具体的には、あの「指差し行為」を竹内公太の作品と見なし、ここに展評の対象として取り上げる』
(椹木野衣『月評第 40 回 批評が指差す ‒竹内公太と「指差し作業員」』美術手帖 (2011.12) より抜粋)

『真っ白な放射線防護服を着て顔面をマスクで覆い隠した男が、無言で、こちらを指さし続けている......。こいつは誰?
いったい、何を訴えているんだ。
8月末、福島第一原発の固定監視カメラの前に、突然映ったこの映像は、大きな話題となった。その後、「指さし男」本人がネット上に登場し、過酷な環境下で働く原発作業員の実態を知ってもらいたくてやったのだと告白したけれど、彼が指さしたものは、もっとちがうなにかだったようにぼくには思えた。
あの「指さし」は、パフォーマンスアートの創始者のひとりヴィト・アコンチの模倣だといわれている。パフォーマンス(アート)は、ふつうの芸術とは異なり、時に強い政治性を帯びる。今話題のバンクシーのように。(中略)
グラフィティアートを毛嫌いする人の理由ははっきりしている。自分がおとなしく従っている秩序に抗する人間が疎ましいのだ。自分みたいにおとなしくいうことを聞け、と思うからだ。それは、デモを嫌う人たちの気持ちと似ている。
「指さし男」は、その「指さし」で、こういおうとしたのかもしれないな。
「そこのあんた、そのままでいいと思ってんの?そんな遠くから見てるばかりじゃなにも変わりはしないよ」って』
(高橋源一郎「原発の指さし男そのままでいいのかい?」朝日新聞 朝刊「論壇時評」(2011/9/29)より抜粋)

展覧会風景

撮影:土田佑介